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ひろば

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すみコラム 第3回
  わんぱくクラブの保育を振り返って
  兄弟の気持ち(1)
  すみコラム 第2回
 

みんなの・・・

  ここは会員、指導員、ボランティアの皆さん、わんぱくの活動
  を応援して下さる方々、みんなが参加できる「ひろば」です。
  日ごろ思っていること、感激したこと、ここで語ってみませんか?



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 すみコラム 第3回 わんぱくクラブの保育を振り返って
          〜遊びもみんなと一緒が楽しい〜
(2012.09 近藤すみ子)
 
「近藤すみこ」の今までの文章:
    すみコラム 第2回(2012.06)
    すみコラム 第1回(2012.04)
     人が変わる瞬間に立ち会える喜び(2011.08)
    私とわんぱくクラブ(2009.05)


 わんぱくクラブの創生期は、部屋が狭いうえに、スタッフは私一人だったこともあり、部屋でトランプやカルタ取りをよくしました。トランプで7並べばかりをしていた時期もあり、よく飽きなかったものです。公園に行くと、ユウ君はベンチに座り、マサ君はけん玉の練習をして、砂遊びに誘っても誰もやらず、遊具もない公園だったので、のどかな公園あそびでした。ビワの木やグミの木があって、わんぱくのメンバーで取りつくしたこともありました。

 その後、子どももスタッフも増え、借りていた幼稚園の園庭や近くの公園で遊ぶことが多くなっても、名前が付けられるような遊びはなかなかできませんでした。ベンチに座っている子、地面にひたすら字を書いている子、走り回っている子等々。夢中でやってきたので、思い出せませんが、そうこうするうちに、ブランコに乗ったり、滑り台を滑ったり、鉄棒で遊んだり、回転遊具にみんなで乗ってぐるぐる回して喜んだり、公園の塀の上を歩いたり、追いかけっこをしたりして遊ぶようになりました。

 初めのうちはスタッフが楽しく遊べるようにと、一生懸命働きかけをしたのだと思います。ブランコに乗せて歌を繰り返し歌い、背中をそっと押したり、思い切り押したり、時には前から落ち葉をかけてみたり、喜ぶことは何でもやってみました。みんなブランコ遊びが好きになって競って乗るようになり、初めは順番を巡ってのトラブルもありましたが、順番待ちのルールも自然に定着して、下手にスタッフが間に入るともめるという状況も出てきました。世田谷公園の8基あったブランコをわんぱくのメンバーが占領して、歓声を上げてこいでいる様は圧巻でした。みんなで乗るのが楽しかったようで、少なくなると、いつの間にかみんな降りて他の遊びに移っていました。

 人数が増えると部屋あそびもハンカチ落としやかくれんぼ等ルールのある遊びもやるようになります。 ハンカチ落としをするには、円陣を作って、円の内側を向いて座らなければなりません。さようならの挨拶をするのに丸くなるのは未だに難しい。というわけで、まずは、その頃たくさん置いてあった座布団を丸く並べて、内側を向いて実力行使で座らせます。あまり抵抗はなかったように記憶しています。同じ方向に走るというのも難しく、長い間スタッフが一人ゲームに入らず、一緒に走って援助していました。座っている背中側にハンカチを落として、1周する間、気付かれず肩をタッチすれば、ハンカチを落とされた人は円陣の真ん中に座ることになります。これを『便所に入る』というので、みんなとても嫌がり、泣いた人もいました。誰に落としたか分からないというのがこのゲームのドキドキするところですが、たいてい誰かが喜んで教えるので、ハンカチを拾って落とした人を追いかけることになります。この追いかけっこを楽しめる人、ひたすら走って追い越してしまう人。落とし方も個性があって、ハンカチを前に投げたり、頭の上にハンカチをのせたり。メンバーは必ずと言っていいくらい好きな人に落とします。人間関係が良くわかるゲームでした。

 かくれんぼは、思ったより難しく、成り立たせるために様々な工夫をしました。まず、『かくれる』ということをわかってもらいます。自分が見えなければ相手も見えないと思っている人が多くて、苦労しました。あまり上手にかくれると、今度は見つける方が大変です。誰がいるかはわからないけれど、誰かがいるのかはわかるような環境づくりをします。テーブルに毛布をかぶせて、下にかくれる、布団をかぶる、段ボールでお家を作ってかくれる等。「○○さん見っけ」と名前を呼びます。名前を呼ばれたら、見つかったということで出てくる。そんなルールを作って、かくれんぼをしていました。見つからないようにかくれるのがいいと思っている人は、「このかくれんぼはなに?」と思っているようでしたが、メンバーの中では定着してきて、「見っけ」「見つかっちゃった」とお互いに顔を見合わせる瞬間を楽しめるようになりました。今でも、ひかりの黄色グループのメンバーは、公園遊びでかくれんぼをして楽しんでいます。

 かくれんぼは、大人数だと鬼がみんなを見つけるのに時間がかかり、何をやっているのかわからなくなります。残念だったのですが、かくれんぼをみんなで楽しむことは諦めざるを得ませんでした。

 自由に遊んでいて、みんな同じ空間を共有して、とても楽しかった部屋遊びがあります。その頃、縄を使った遊びをよくしていました。縄跳び、綱引き、電車ごっこ。たまたま電車ごっこをしている子がいて、スタッフが両手を伸ばして踏切をつくり「カンカンカン」と、通せんぼをしたりしています。床には前日にビニールテープで作った線路がありました。これはみんなで電車ごっこができると思い、部屋中線路を作りました。ビニールテープが無くなったので、途中で買いに走りました。ユウ君と二人でせっせとビニールテープを貼ったのを覚えています。線路の効果は抜群で、あちこちに電車が走り、踏切や駅が出来て、部屋中がジオラマのようになって、壮観でした。

 ひかりの旅行の壁新聞の写真を見て、仲間と素敵な笑顔でジェンガをしているリョウ君の写真を見つけ「この写真欲しい!」とお母さん。同時に「ここまで来るのにどんだけかかったか!」とつぶやきました。小学校2年生でわんぱくに入り、今は28歳。ほんとに時間がかかりましたが、ここまできたことを素直に喜びたいと思いました。

 一人で好きな遊びをするのも楽しいけれど、みんなで遊ぶと、心躍るような別の楽しさがあります。そんな楽しい思いを経験させてあげたいと思います。みんなの心が一つになるには、生活の積み重ねと信頼関係が必要です。楽しさとは与えられるものではなく、一緒に楽しみたい仲間とスタッフがいるからこそ感じられるものだと思っています。


 
 

 新しいシリーズ「兄弟の気持ち」をスタートしました。「しょうがいをもった兄弟がいる」ということで、保護者の立場とはまたちがったいろいろな経験があると思います。そうした「兄弟の気持ち」や「その兄弟の気持ちに触れたときの親の気持ち」などをお伝えしたいと思います。


 新シリーズ 兄弟の気持ち(1)           (2012.06 くわこ)

                    「くわこ」の今までの文章: 自閉症はこだわるのだ(2011.08)

 それは今年の母の日のことだった。

 私の前には息子が用意したごはん、手作り餃子、スープなどの料理が並べられていた。 今まで家族に料理を並べてはいても、並べられることは皆無だった。 そしてそれは母の日だからと言って例外ではなかった。 それが今年は目の前に子どもの手作り料理である。

 本当に驚いた。

 ここでまずは家族紹介。我が家は主人と私、重度の知的障害の娘、その弟で大学生(今回の話の本人だが)、そして主人の母が要介護で完全同居と、5人暮らし。ダブル介護と仕事、いろんな用事や活動でバタバタしている毎日が続いている。

 ことの起こりは3ヶ月前くらいだろうか、突然、息子がクリームシチューを作りたいと言ってきた。  「?」の私に、大学のレポート提出があるからだとのこと。何でも実際に作成してみて、写真を撮り、レ シピを英文で提出するそうな。 そしてとある日曜日の午後、ホワイトソースから手作りという、凝った(?)シチューを作るべく台所で 格闘していた。
 その日できたシチューはホワイトソースがかなりダマになっていたものの、子どもが一生懸命作ってく れたのだと思うととてもおいしかった。

 それから何を思ったのか、週末ごとに何かしら作ってくれるようになった。 肉じゃが、すき焼き、マーボ豆腐、クッキー、スイートポテトなどなど…。 私に食べたいものを聞いて買い物に行き、休みの日の午後台所で奮闘している息子を見るにつけ、 今まで料理なんか関心なさげだったのに何でかな…と当然疑問に思った。

 ある日「この頃なんで料理作るようになったの?そりゃお母さんはうれしいけどね」と聞いてみた。 すると息子いわく「こんなことで少しでもお母さんの手助けになればと思って…」

 私の手が回らない時に掃除を頼んだり、祖母の車椅子を押したりと頼んではいたが、 言われたから仕方なくやってくれるのだと思っていた。 それが息子の“手助けできれば…”との一言に、母の奮闘している背中をじっと見ててくれたのだと 思い、すまないなと思う反面とても嬉しかった。

 「我ながらクサいセリフ言っちゃった」と照れたように笑った息子の顔が、今だに忘れられない。



 すみコラム 第2回 わんぱくクラブの保育を振り返って
          〜みんなで一緒に歩く〜
(2012.06 近藤すみ子)
 
「近藤すみこ」の今までの文章:
    すみコラム 第1回(2012.04)
     人が変わる瞬間に立ち会える喜び(2011.08)
    私とわんぱくクラブ(2009.05)


 みんな一緒にひたすら歩いている姿が、私にとってのわんぱくクラブの保育の原風景です。近くの公園、遠くの公園よく歩きました。世田谷幼稚園のプレハブにいた時、園庭が夏休みに全く使えなかったときは、狭い部屋に30人近くの人数がいて、部屋の中では過ごすことができず、午前中と午後に分けて公園に出かけました。雨の日、児童館でお弁当をたべさせてもらったこともありました。

 最近、その頃からいたスタッフに、ひたすら歩いたことに何の意味があったのかと聞かれました。大きな公園で遊びたいという目的があり、お金を使わないということが大前提にあったので、歩くしかないから歩いた。片道1時間は無理な距離ではないと考えていました。今思うと、スタッフは、暑い中、なぜこんなに歩かされるのかと、きっと思っていたのでしょう。

 改めて考えると、「長時間歩く」ことは、子どもたちにとっても、スタッフにとっても大きな意味があったのだと思います。子どもたちにとっては、体力作りに役立ったことはもちろんですが、持久力や忍耐力を育て、集団で歩くので、助け合ったり励ましあったりすることで豊かな感情を育てることにもなりました。何より、スタッフの力をつけるうえで大きな役割を果たしたと思います。歩いた経験が少ない、みんなと一緒に歩けない、という子どもがたくさんいて、歩かせるためにあの手この手を考えました。

 私もいろいろやってみました。常に葉っぱをちぎっていたマサミチ君と歩くときは、予備の葉っぱをいつもポケットに入れていました。公園の葉っぱはいいけど(?)、よそのおうちの木からとってはいけないというルールにしていました。葉っぱがなくなると、座り込み歩かないので、ポケットから「ほら!」と出すと、また歩き始めます。

 夏は、冷たいおしぼりと、氷水の入った水筒は欠かせませんでした。暑いというだけでパニックになる子どもが何人もいました。

 見事に歩かなかったのはカズミ君。歩かせるために、ずっと手遊び歌を歌い続けたこともありました。「座り込んでも絶対抱っこしたりおんぶしたりしてはいけない」とスタッフを叱咤激励し、遅れてもいいから歩かせてくださいと私に言われたスタッフは、大変だったと思います。わんぱくに帰り着いたのが、おやつも食べ終わり掃除の時間だったこともありました。また、すれ違った年配の人に「お母さん、子どもを泣かしちゃいけないよ」と、まるで虐待しているように言われ、泣きたいのは私のほうだと言いたかったと、終礼で冗談交じりに言うスタッフもいました。

 全体で歩くので立ち止って、遅れている人たちを待つのですが、待つ場所も配慮が必要です。間違ってもみんなが好きな自販機の前はないし、インターホンを押す人もいるので、個人の住宅の前はないし、葉っぱや花をちぎる人がいるので、花木の側もないし、いろいろ条件を考えて、リーダーは場所を決めます。

 大きな通りで信号待ちをする時は、緊張の瞬間です。救急車やパトカーの音がすると急に飛び出したり、好きな車両が通ると飛び出したりする人もいて、何時でも、止められるような心構えでいました。また、踏切を渡るときも同じで、線路を走り出す人もいたので、歩くことに集中させるための声掛けに気をつけました。アヤさんと歩いていて、靴が片方ない、時には両方ないとよくあわてました。歩いている途中で、突然座り込み、靴と靴下を脱いで土遊びを始めるヒデ君。その早業に目を見張ったものです。驚くようなエピソードには事欠きません。

 みんなと歩くのが大変だったメンバーも経験を重ねて変わっていきます。カズミ君とヒデ君が二人手をつなぎ、先頭を歩き、時々後ろを振り向いて、みんながついてきているか確かめる姿を見た時の喜びは、何年たっても色あせることはありません。

 急に人数が増え始めたころは、スタッフと子どもが1対1で歩くことすら難しい時期がありました。公園に行くのに、スタッフと子どもの組み合わせを考えるのが一仕事でした。これが2年ぐらい続いたと思います。一緒に歩くというのはこんなにも難しいものかと思いました。私が先頭を歩き、芹沢が一番後ろを歩くことが多く、私は全体を見渡しながら、後ろ歩きをし、よく電柱にぶつかりました。芹沢は、前に行ったり後ろに行ったり他のスタッフの倍は動いていました。

 そういう時期を過ぎ、ある程度の条件下で、どのスタッフも手をつないだ子ども二人と一緒に歩けるようになり、そのうち先頭としんがりだけ決めれば、自由な組み合わせで歩けるようになりました。公園に行くと声をかけてから、歩き始めるまで、自然な感じで出発できるようになるまでに、ずいぶんと年月がかかりました。

 子どもたちはスタッフがやっていることを見て育ちます。歩くときの危機管理や子どもとの人間関係を作ることに、スタッフ一人一人が自覚的に取り組む姿を見て、子どもたちも自らの力で安全や仲間との関係づくりに取り組むものだと思います。

 改めて考えると、みんなで長い時間歩くことの意味は、集団の一体感を味わうことかもしれません。

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 【保護者の記憶】この文章を読んで、はじめて夏休み保育に参加した時のことが、鮮やかによみがえった。夏休みの外出、三軒茶屋から羽根木公園まで歩いた。土地勘のない私は、距離感がまったくわからず、延々と続く歩行に、ついていくのがやっとだった。公園でお弁当を食べた後、なんと子供たちはプレイパークで遊ぶ。一緒に参加はしたものの、「もうだめ、絶対帰りは歩けない」と思っていた。リタイアするわけにも行かず、ひたすら足を動かしたことが記憶に残っている。

 その話を、駒沢まつりにいた保護者にすると、「そうだよねー」「ほんと歩いたよねー」「碑文谷公園とか、馬もスタッフも保護者もへとへとだったよ〜」「スタッフは、追いかけたり戻ったり、3往復くらいしてたよね」と共感の声、声・・。スタッフのたいへんさや回数には比べるべくもないが、「暑い中、とにかくひたすら歩いたこと」は、保護者にとっても忘れられない大切な経験です。(HP担当:RYO)

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