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子どもとともに歩んできた道(小林雅子)
人が変わる瞬間に立ち会える喜び(近藤すみ子)

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人が変わる瞬間に立ち会える喜び (2011.08)
                                            近藤すみ子    

 今週、児童デイの活動に入ったことで、ひかりのメンバーと過ごした日々の中で、私の中に積み重なっていったのは何だったのか、しみじみ考えることがありました。最近、ひかりの活動に入れないのは寂しいのですが・・・。

 1日でも一緒に過ごすと、情が移るものです。児童デイの子はかわいい! 自分もまだ慣れずに入口からなかなか入れず、頑張っているワーちゃんが「わんぱくへどうぞ」と私に声をかけてくれました。初めて活動に参加する私と自分を重ねてみたのかも知れません。感情がなかなか表情に表れないキーちゃんが、スタッフに抱かれてすべり台を滑った後、ほわあっとほほ笑んだ顔が何とも素敵でした。

 ひかりのメンバーとの長い付き合いの中で、同じようなことがたくさんありました。その日から変わったと思える瞬間に運よく遭遇したこと。いつ変わったか、わからなかったけれど、後で変わっていたことに気付いたこと。この人はこんな一面を持っていたのかと、驚いたこと。そんな時、自分の心が洗われるような気がしていました。この仕事を続けていくことで、多くの財産をメンバーからもらっていたんだなあ、と改めて感じるこのご頃です。  


 
 子どもと共に歩んできた道 (2011.07)
                                     小林雅子    

 滉一は現在24才、自閉症です。人や物、時間、場所へのこだわりが強く、見通しが持てないことにはとても緊張し、不安になります。体格は大変良く力も人一倍あります。電車やバスなどの乗り物は乗るのも見るのも大好きです。音楽を聴くことやカラオケ、そして本を見ることも大好きです。本屋さんでの立ち読みは、はずせない日課になっています。

≪幼児期≫
 赤ちゃんの頃は、いつもニコニコしていて、よく笑う子でした。2才位までの写真には、まんまるの顔に、太陽のような笑顔が、あふれていました。

 認めたくない発達の遅れが、顕著に現れ始めた2才半頃、しぶしぶ病院に行きました。「情緒面での遅れがあります」との診断でした。総合福祉センターに親子で約1年間通い、その時「毎日の療育が必要」と言われ、自閉症児通園施設「賀川学園」で、幼稚園時代を、過ごしました。初めての集団生活、目に映るもの、耳に聞こえる音、きっと全てが、不安要因だったのでしょう。毎日の学園生活の中では、場面が変わるたびに泣いていました。特に行事の時は大泣きでした。泣いたり、笑ったり、たくさんの経験を重ねて、現在の滉一の土台を築いた貴重な3年間になりました。


≪わんぱくクラブとの出会い≫
 わんぱくクラブに入会したのは、今から16年前、滉一は小学校3年生でした。初めて、見学した時、「ただいまぁ〜」と帰ってくる子供たち、「おかえり〜」と迎える指導員。とてもほのぼのとして温かく感じられた光景でした。今でもはっきり覚えています。

 新しい環境には強い不安と緊張を表す滉一ですが、わんぱくクラブには、昔から知っている所のように、何の苦労もなく、馴染んでしまいました。公園遊びが大好きだったので、「ただいまぁ〜」ではなく「八幡様(近くの神社の公園です)行く」と言いながら、わんぱくクラブに入って行くほどでした。

 小さい頃は、公園でブランコや滑り台の順番を待ったり、他のお友だちと一緒に砂遊びをするなど、不可能でしたので、つい……公園には、足が向きませんでした。滉一の中では「公園で遊びたい!!」という欲求をずっと持っていたのだなとつくづく感じました。


≪中学校時代……安定期≫
 2001年、わんぱくクラブは区の施設をお借りして、駒沢と三軒茶屋の2箇所で活動を始めました。滉一は中学3年生、わんぱくクラブ駒沢に移りました。当時は夏休みなど、親も保育のお手伝いをする機会がありました。私が、お手伝いをした日の事です。滉一が、自分より小さい小学生のお世話をしたり、「○○君、○○してはダメよ〜」と注意までしているのです。家では、ほぼ100%お世話される立場だったので、ビックリ!!でした。私の知らないところで、「いつの間にか、成長しているのね」と嬉しく感じたひと時でした。

 小学校高学年から中学校時代は、精神的におおむね安定していました。中学校への通学途中で地元の方から、ほめられた事もありました。滉一が、毎朝、「おはようございます」と大声で挨拶していたからです。「元気に挨拶ができて偉いね」と言われ、漠然と、これから先も、安定した状態で、成長していくのだろうなと思っていました。


≪高校時代……思春期≫
 高校生になり、いよいよ思春期に突入しました。滉一にとっても自分でもどうしようもない辛い時期だったと思います。高校2年生の頃から、笑顔が消えました。1日中、イライラしていて、ささいな事でもパニックを起こすようになりました。あの巨体、怪力で、私に向かってくるのですから、それはそれは恐ろしかったです。中学校時代にほめられた“挨拶”もしなくなりました。私が滉一を叱ることなど、当然できず、ほめることすらできない時期が、数年続きました。私からの言葉かけはすべて拒否という感じでした。いつパニックを起こすのか、常に私も不安で、滉一を誰かの手に委ねている時だけが、唯一“ホッ”とできる時間でした。


≪卒業後そして今≫
 卒業後は福祉園に入所し、現在、7年目です。入所当時は、まだまだ、不安定真っ盛りでしたが、“福祉園”“ひかり”の生活の中で周りの方々にたくさん助けられ、そして支えて頂きました。そのおかげで、この1〜2年、やっと安定のきざしが見えてきました。今は、滉一に笑顔も戻ってきました。そして気が向くと「おはようございます」「こんにちは」と元気に挨拶もしています。

 辛い時期を何とか乗り越えられたのは、“わんぱくクラブ”“ひかり”で、長い月日を共にした仲間の存在も、とても、大きいと思います。滉一が泣いている時、隣に座って「よしよし」と肩をたたいてくれる仲間がいます。言葉はなくても心が通じているのでしょう。

 これから先も山あり、谷あり、一喜一憂しながら暮らしていくのだと思います。

≪最後に滉一へ≫
 お母さんはあなたの笑顔が、大好きです。なるべく、笑って暮らそうね!!
 



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