●ホーム1
ひろば

みんなの・・・


 今までの投稿記事は
  「過去のページ」から、
  ご覧になれます。

  リンク→
 ●過去のページ

 「近藤すみ子」は、わんぱくクラブ育成会の最初からの指導員で、わんぱくの活動を創り上げてきました。その経験の一部でも、皆様にお伝えしたく、HPで紹介させていただくことにしました。
名づけて「すみコラム」!! 今後連載していきますので、お楽しみに!
 
「近藤すみこ」の今までの文章:
     人が変わる瞬間に立ち会える喜び(2011.08)
    私とわんぱくクラブ(2009.05)


 すみコラム  わんぱくクラブの保育を振り返って
          〜魅力的な保育を作り出すために〜
(2012.04 近藤すみ子)


 「攻撃は最大の守備」「現状維持は後退」「自転車は漕いでいないと倒れる」等と公言し、「後ろを振り返らず前進あるのみ」と、ただ前だけを向いて走ってきました。顧問という立場ですが、今もその気持ちはあまり変わりません。子どもたちの中に入るとタイムスリップしたように保育者であった昔の自分に戻ります。その気持ちを思い出しながら、これまでのわんぱくクラブの保育を振り返ってみたいと思います。キーワードは「ダイナミックな集団活動」です。みんなで遊び、楽しさを共有し、みんなで笑いあう、こんな幸せな時間はありません。

 世田谷幼稚園学童クラブで指導員をしていた頃は、小学校1年生から3年生までで、30人を超える大所帯でした。ごっこ遊びにしても部屋いっぱい使って宇宙船ごっこをしたり、お祭りも近隣の学童クラブの子どもたちも招待して盛大に行ったり、夏のキャンプは100人を超える大人と子どもの集団で行ったり、ダイナミックな活動を展開し、ドキドキわくわく感がありました。

 わんぱくクラブが始まったころは20人いましたが、どんどん減って6〜7人になったこともあり、もうダイナミックな活動をすることはないのかと少し寂しさがありました。人数が減っても保育の内容は学童クラブ時代と変わらず、自由遊びの時間、おやつ作り、昼食づくり、日記、読み聞かせ、掃除、班活動も形を変えることもありましたが続けてきました。行事も、誕生会、お楽しみ会、わんぱくまつり、夏休みのお泊り、親子キャンプ、スキー教室、児童館の行事への参加、近隣の学童クラブとの合同の運動会に参加するなど、色々なことに取り組んできました。近くの公園に行ったり、けん玉をしたりしましたが、一番やったのは、トランプです。ババぬきや7ならべを飽きることなくやったのを覚えています。少ない人数の時は、丁寧な働きかけが可能でしたから、買い物に一人で行けるようになることを目標にして取り組んだり、一人通所に取り組んだりしました。ある程度の人数になるまで、そんなことをする余裕がありました。

 人数は増えていって、集団活動はダイナミックなものになっていきましたが、障害が重い子どもたちが増えていくと、あれもできないこれもできないとあきらめかけたことがありました。読み聞かせは、騒いで聞いてない子がほとんど。それでも、みんなが聞かないのであれば、象さん好きの子だけをターゲットにして、象の絵本を見つけてきては読んだこともありました。定番の手遊びを楽しみ和気藹藹だった帰りの会も、人数が増えるにしたがって、大騒ぎする子も出てきて、カーッとして「もう、リーダーできない、 誰か代わって!」と私がキレてしまったこともありました。そんな中でも動揺しなかった子どもたちに支えられて続けていくうちに、帰りの会はいつの間にかわんぱくクラブの一大イベントになっていきました。わんぱくクラブ三軒茶屋のメンバーが30人以上いた初期の頃、夏休みはスタッフを含めると40人を超えていました。元のわんぱくクラブ三軒茶屋のホール一杯になって「こんにちはどなたです〜♪」という自己紹介ソングを40回以上やっても楽しめるようになっていたのには驚きでした。

 あきらめることなく、しつこく、楽しいことを、障害の有無やその程度に関係なく、追求し続けると、それが子どもたちの力になっていくことに確信を持ち、あらゆる活動に丁寧に取り組んできました。まずは環境づくりと、スタッフの意識が大切と考えました。打ち合せや終礼を勤務時間として保障してもらったことが大きな力になったと思っています。

 子どもたちが増えてきて、大人数で町の中を闊歩する様は、ちょっとした事件でした。地元の少年たちとすれ違うと「なんだ、なんだ、あれは??」とびっくりされました。雨が降っても「今日は、晴れです!」と言い張る子もいて、仕方がないと散歩に出かけます。カラフルなレインコート(バザーでゲット)をみんなで着て練り歩きます。散歩だけと言って出掛けたのに、聞く耳を持たず、ぶらんこに乗ったり、水遊びを始めたりする子もいました。外に出かけない日はありませんでした。夏休みになると、弁当を持って、世田谷公園、羽根木公園、碑文谷公園、駒沢公園とどこまでも歩きました。往復2時間は普通で、砧公園に行った時はスタッフからクレームが・・・。でも、たくさん歩いたことで、いろんな力がついたのは確かです。みんなと足並みをそろえて歩いたり、手をつないでいる仲間と歩調を揃えることができたりすると、情緒も安定し、集団に目を向け始めます。自分の好きな友だちを選んで一緒に歩けるようになった子どもたちを見ると、ほんとにうれしい。散歩にまつわるエピソードは他にもたくさんあります。

 今は、遊具もそろい、恵まれた環境になっていますが、昔は遊具など買えませんでした。とにかくお金がなかったのです。保育料や補助金は90%以上が人件費でした。というわけで、部屋では座布団、布団、シーツ、段ボール、布を割いて編んで作った紐、いす、バザーで大量にもらったボタン等を使って遊びました。シーツブランコは大きな子どもたちにも人気で、重労働でしたが、子どもたちの笑顔を見ると「あなたは重いからやれない」とは、言えませんでした。 公園でよく遊びましたが、はじめの頃は、固定遊具で遊ぶ子は少なく、座り込んで地面に何か描いたり、ただ走り回ったり。ブランコを楽しめるようになるまでも時間がかかりました。

 ハンカチ落としやかくれんぼ、野球などの集団遊びも、工夫を重ねていくうちにできるようになりました。「公園で楽しく遊べるようになるまで」「ハンカチ落としができるようになるまで」等一つ一つの実践については、今後、続編を書きます。乞うご期待!


                         ページの最初   に戻る



  ここは会員、指導員、ボランティアの皆さん、わんぱくの活動
  を応援して下さる方々、みんなが参加できる「ひろば」です。
  日ごろ思っていること、感激したこと、ここで語ってみませんか?