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笑わない天使からくまのプーさんへ(まりあ)


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 笑わない天使からくまのプーさんへ (2011.10)
                                        まりあ 

 1984年12月25日、Xmasの日にリョウは産まれました。3995gと大きく難産でした。陣痛微弱の為促進剤(今は禁止)を点滴し、産みたいのに産めない状態が2日間も続きました。きっとお腹の中でリョウも苦しんでいたのでしょう。やっと産まれた時はセメント色の頭でっかち、まるでE・Tのような感じでした。私は産後も点滴をしばらくしていましたが、リョウはよく泣き、母乳をたくさん飲みました。頭が大きいので、首座りや立つのは遅かったけれど、どこへでもゴロンゴロンと転がったりハイハイで元気よく動き回りました。数字やパズルが大好きで必らず1から順番に並べたり、パズルの形をすべて覚えるので、「将来は数学博士かな?」と期待していました。言葉が出るのは早くて、歌も大好きで私が毎日童謡を歌っていたら覚えて一緒に歌っていました。いつもケラケラとよく笑うかわいい子でした。

 ところが、私を後追いしていた2歳の時、10ヵ月の弟が熱性けいれんで入院。しかも病院が薬を投与し過ぎて全身火ぶくれ状態になり、私はつきっきりの看病で、リョウと会えるのは土・日に家に帰った時だけでした。無事退院してもすぐに熱が出て弟に手がかかり、リョウはとても寂しい思いをしていたのだと思います。次第にしゃべらなくなり、笑わない、目も合わせない状態になっていき、私は必死にリョウと遊んだりかまったりして取り戻そうとしましたが、ますます状態は悪化していきました。横浜の日吉から世田谷の砧へ引っ越し、総合福祉センターへ行きました。その時にドクターから「自閉症」と初めて宣告されたのです。自閉症とは何か全く知らなかった私は治療すれば元のように治ると思っていましたが、「事故にあったようなものですから諦めてください」と言われ打ちのめされました。私は寂しい思いをさせたからだと自分を責めました。センターにも通いましたが、より殻の中にこもってしまい、外界とは接しないといった感じで無表情・無反応。あのよく笑っていた無邪気なリョウとは全くの別人で、多動もひどくなっていきました。

 ある自閉症の本の著者に望みをたくして会いに行きました。すると、「この子の場合は後戻り現象だね。残念だけど、もうしゃべらないし、笑わないでしょう」の衝撃的な言葉。「でも今までは話していたし、笑っていたのだから何か治療があるのでは」と食い下がる私に「お母さん、指を切ったら生えてこないでしょう。それと一緒なんです」とさらに崖から真っ逆さまに突き落とされたのです。「すべては私のせい。私がリョウから笑顔を奪ったんだ」と溢れる涙を拭うこともしないで、駅のホームに茫然と立ちつくしていました。「もう笑わない」「しゃべらない」の言葉が何度も頭の中で繰り返され、途方に暮れて一歩、また一歩と線路に近づいていました。その時です。いつもなら手をつなぐのを嫌がり目も合わさなかったリョウが私の手をギュッと握って引き留め、ハッと振り向くと一瞬にこっと笑って「マ…マ…」と言ったのです。我に返った私はリョウを抱きしめ「ごめんね。ママが絶対に笑顔を取り戻すからね」と泣き崩れました。

 それからは過去を振り返らず前だけを向こうと誓い、とにかくいいと思った事は何でも取り入れました。社宅の白い壁にはいろんな色のクレヨン描き。紙パイプの3段ジャングルジムと体操選手の使う本格的な1畳のトランポリンもありました。遊びに来た弟の友達が「トランポリンの達人」と拍手するほど本当に上手に背面跳びをするリョウ。バランス感覚や脳の刺激に効果的でした。予約をしたのに2時間も待ち、たった5分頭から気を入れてもらう気功に通った事も(笑)。一生懸命と言うよりもがむしゃらでした。そして、5歳の時にとても素晴らしいセラピストの先生に巡り合ったのです。リョウが再び「ジュース」としゃべった時には魔法がとけたようで嬉し涙が止まりませんでした。それからは普通の子が自然に覚えていく事を一つ一つゆっくりと根気よく教えていきました。部屋中に「れいぞうこ」等の名前の札が貼られ、文字・名前・大小・種類・色・形・時計…。ゼロというよりマイナスからのスタートでしたが、繰り返すごとに少しづつ覚えていき、言葉もしゃべるようになり笑顔も取り戻しました。しかし、まだまだ険しい道のりは続きました。高島屋で迷子になったり、自転車に乗れるようになると砧から荻窪まで一人旅をして警察のお世話になったこともあります。心臓がいくつあっても足りない位のハラハラドキドキ、スリル満点を体験し、何気ない事でもできた時の感動も200%味わい、リョウのおかげで人生を何倍も楽しんできたようです。

 高校を卒業して作業所に入り、リョウなりのペースで手の器用さを生かして仕事を頑張っています。日記も毎日1ページ以上書いています。週1回のプールに週末にはお父さんとサイクリング。わんぱくでは仲間との関わりも広がってきています。人と関わる事の苦手なリョウが仲間に「おかえり」と迎えられ「ただいま」と笑顔で答える姿もみられます。作業所でも「食べ過ぎ〜」と言われてにたーっと笑っています。くまのプーさんのような顔と体形で癒し系男子のリョウですが、時には怒ることもあります。でも今まで自分の殻に閉じこもり感情に鍵をかけていた事を思うと、喜怒哀楽を出し、自我も目覚め時にわがままも言って人間らしく(笑)成長してきているように思えます。いろんな事にチャレンジしてほしいと4年前にエレクトーンも始め、作業所の仲間3人のアンサンブルで毎年発表会にも出ています。初めは一本指でしたが、3回目の今年は両手でスピッツの「空も飛べるはず」を弾きました。少し難しくて初めはうまくできずに怒る事もありましたが練習を重ねると上手に弾けるようになり、楽譜を全て覚える程に。本番最高の演奏をした後私とハイタッチをした時の笑顔は、幼い時私を救ってくれた優しいかわいい笑顔ではなく「やったぜ!」という自信に満ちたキラキラと輝やいた笑顔でした。

 リョウが産まれてから毎日書いている日記も26冊に。いろんな事があったけれどリョウから「あきらめない」「続ける事の大切さ」そして何より「笑顔でいる幸せ」を学びました。これからもどんな笑顔がみられるかとっても楽しみです。いつでもどんな時でも見守ってくれた家族や支えて下さったいろんな方々に感謝しながら、たくさん笑って泣いて喜んで楽しんでいきたいと思っています。

 リョウ、私の子供に産まれてきてくれてありがとう!これからもよろしくね!


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