子供の書いた絵    

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ボランティアの広場(2002年10月)


 「わんぱく」には、正規職員としての指導員6名のほかに、たくさんのアルバイトさん、ボランティアさんがいらっしゃいます。平日の保育をお手伝い下さる方、児童の送迎をサポート下さる方、外出やプール等の土曜行事に力を発揮下さる方、そのかかわり方は色々ですが、たくさんの方が、わんぱくの活動を支えて下さっています。
 ここでは、そんなアルバイトさん、ボランティアさんからのメッセージを紹介します。

☆ボランティア2年生(2002.9)
☆わんぱくクラブと私(2002.9)

ボランティア2年生

 わんぱくクラブの水泳教室にボランティアとして参加させていただいて、早1年がたちました。小生S24年生まれの満50歳、サラリーマン生活28年の現役中年が、何故わんぱくクラブへ?

 わんぱくクラブとの出会いは、数年前「走れコータロー」の歌を久しぶりに聞きたくて、世田谷区民会館で行われたチャリティーコンサートに行ったとき、小生と同世代の山本コータロー氏が、実にいい顔をして、わんぱくクラブの子どもたちと一緒にステージで歌っている姿を見て、なかなかいい仕事をしていると感動し、小生も少しでもお役に立てれば、と思い賛助会員になりました。その後、サラリーマンの宿命で大阪へ転勤になり、阪チョン生活の後、昨春東京へ戻ってきました。その時、目にとまったのが、「わんぱくプレス」の水泳ボランティアの募集記事でした。長年お世話になり、現在もなっている社会に何かお返しができないか、どんな小さな事でもいいからやってみたい(やるべきだ)という考えが芽生えていた事、元来子どもが大好きで一緒に運動することが性に合っている、そして第1・第3土曜の昼からという時間帯が、一応会社の休日でもあり都合がつく事が相乗効果を生み、わんぱくクラブの扉をたたくにいたったのです。

 でも、仕事で新規の顧客の事務所にはじめて訪問する以上に勇気がいりました。全く経験のない社会への飛び込みですし、福祉分野の知識もゼロだからです。しかし、思い立ったことはまずヤルタイプですので、これが幸いして、わんぱくクラブへ昨春初めて行った時、不安・心配はいとも簡単に吹っ飛びました。先生方、スタッフの皆さんの職場のムードがさわやかで明るく生き生きとしており、何年も一緒に仕事をしてきた仲間のように迎えていただきました。そして、初めて会った子どもたちが、早速抱きついてきてくれる子、お話はできなくても、笑顔で、また身振り手振りで歓迎してくれる子、一生懸命お話をしてくれる子、手をつないでくれる子、「Yさん」と言ってくれる子、本当に感激しました。会社と全く異質の社会で異質の喜びを味わえ、仕事をやり遂げた時の充足感とは違うさわやかな感動をもらい、その夜のビールの味は格別でした。

 それからというもの、第1・第3土曜になると、今日はプールでどんな遊びを一緒に楽しもうかと、いろいろ考えて実行し至福の休日になりました。わんぱくクラブからプールまでの行き帰りも含めて、子どもたちがそれぞれ本当に楽しそうで、笑顔と笑顔で満開のプールは、小生にとっても最高の遊び場となりました。その後、野外活動や1泊2日の夏合宿、そして最近では演劇教室にも参加させていただき、その日はまさに日々是好日となっています。また、この1年間お母さんやお父さんのバザーや送迎でのガンバリを拝見し、Positive Mental Attitudeのお手本を見させていただきました。

 アメリカでは、‘ビジランティア’という人たちが社会に貢献しています。平日はビジネスマン、そして休日はボランティアをしている人たちです。平日は会社の経理部長を、そして休日は病院の会計士をボランティアとしてやっている人、等々。こういった事が、アメリカではごく当たり前の様になされており、ビジランティアの輪は広がっています。これに比べれば、小生は子どもたちと遊んで楽しんでいるだけで、まだまだ駆け出しですが、これからも細く長くわんぱくクラブと子どもたち、先生、スタッフの皆さん、そしてお父さん・お母さんとおつきあいさせていただきたく思っております。

 最後になりましたが、この記事を読まれた中年(熟年)男性の方々のわんぱくクラブへの参加を心待ちにしています。会社の世界に加えて新たな世界・領域が生まれ、斬新なコミュニケーションが芽生えること必至です。子どもたちの輝いた顔がより輝くように Do My Best!

(ビジランチア よしのり) 【わんぱくプレス 2000.5 掲載】


わんぱくクラブと私

 「子供たちと一緒に出かけてみない?」。2年ほど前の妻の一言からわんぱくクラブとのお付き合いが始まりました。月に一度とはいうものの、どちらかと言えば子供が苦手な私が何故参加する気持ちになったのかは分かりません。たぶん縁があったのだと思います。

 最初の外出先は浜離宮。地下鉄に乗り浅草へ、そして目的地へ向かう水上バスの中でお弁当を食べました。浜離宮ではジュースやアイスクリームを買い、みんなでベンチに腰掛けて飲んだり食べたり・・・。そして記念写真も取りました。楽しい思いでです。その後、わんぱくの合宿やコンサートなどのイベントに参加させていただきましたが、最初の頃は正直言ってきつかったです。しかし、何故か辞めたい気持ちにはなりませんでした。それは妻や指導員の先生方の適切なアドバイスや励ましがあったからだと思いますが、なによりも子供たちの素直に喜ぶ姿が良かったのかも知れません。

 最近では少し余裕が持てるようになってきたのか、写真ボランティアなど気がつくと自分自身楽しんでいる場合が多くなってきました。しかし、子供たちから自分はどのように思われているのかが少し気になります。

 私が子供の頃は、近所の仲間同志であっちこっちと遊びまわったものでした。いたずらも少しだけ?しました。毎日暗くなるまで遊びまわって親から叱られもしました。中、高生時代にはクラブ活動などで新しい仲間との出会いや楽しい出来事も沢山あり、本当に良かった!。どれもこれも私の大切な思い出です。わんぱくクラブの子供たちにも沢山の楽しい思い出を作っていってほしい。それが私の素直な気持ちです。仕事の関係からあまりお手伝いはできませんが、保育もさることながら一つでも多くの思い出づくりのお役に立てれば嬉しく思います。

 今まで、サラリーマンとして会社組織の中だけを歩んできた私ですが、子供たちや保育に携わる方々との交流によって、人としての視野も徐々に広がりつつあるような気がします。感謝しています。

 最初の出会いから比べると、子供たち一人一人が心身ともに着実に成長していることを、肌で感じることができます。これからも様々な体験をし、成長していく子供たちに負けないよう、私自身も成長していきたいと考えています。

(???) 【わんぱくプレス 2002.2 掲載】