子供の書いたtとんかつの絵 

おしゃべり広場(2005年11月)        ●過去のページ一覧へ



 障害児のいる生活で起こるあんなこと、こんなこと、落ち込んだこと、嬉しかったこと、腹がたったこと、それ以外にも、おすすめの場所、感動した本、ここは、何でもありのおしゃべり広場です。
 今回は、わんぱくプレス9月号から、ぜひ皆さんに読んでもらいたいものを転載しました。

☆わんぱくに通う兄を持つ妹達(2005.09 ゆみちゃん)
☆全障研大会よもやま話(2005.09 K)
☆福祉のワンストップサービス(2005.10 RYO)
☆テレビドラマ「女王の教室」で思いだしたこと(2005.10 RYO)
☆すてたもんじゃない(2005.10 RYO)

わんぱくに通う兄を持つ妹達

 駒沢に通う中1のK(ケー)、小3のMi(ミー)、保育園年長のC(シー)の二人の妹。
 Kの先天性障害がわかった時、医師は、「Kくんとご両親のためにきょうだいがいたほうがいいですね。本当に必要なのは、医療や療育ではなく、毎日を楽しく過ごしたという思い出です。」 ひょえ〜っ、それってどーゆーこと? あっという間の12年、3人のおかあちゃんになるとは。

 Mi:三茶に初めて行った時、都会ぶりに目を回した過去がある。駒沢まつりでは、店番なのに率先して遊ぶ。昨年のバスハイクでビンゴに魅了され、ビンゴセットをわが家に備えることになる。今年もビンゴができて大満足。
 C:わんぱくは、やさしい先生がたくさんいるのに、自分は入れないのが不満。ボールプールがうらやましい。駒沢まつりには保育園のご学友が来てくれる。今年のバスハイクのビンゴではずれ泣くが、福引で奇跡的に自分の「38番」を一番に呼ばれて涙がかわく。かわいいグッズを遠慮なくいただく。

 さて、MiとCに質問。わんぱくのプリントに何か書いてって言われたよ。

   妹たちにとって、わんぱくと食べ物は切っても切れない仲らしい・・・。

 わんぱくのおとうさんたち、おかあさんたち、せんせいたち、おおきくなったねーとか、ちからもちだねーとか、じょうずだねーだとか、よくできるねーとか、いつもほめてくれてありがとう。  (2005.09 ゆみちゃん わんぱくプレス9月号より転載)


全障研大会よもやま話

 わんぱくクラブは1993年から、研修を仕事として位置づけいます。今は、駒沢の施設長としてバリバリ仕事をしているSさんが、アルバイトスタッフとして入った年です。父母会としてはアルバイトスタッフの分までお金は出せないということになりましたが、会員のMさんが、「Sさんにも全障研大会にいって勉強して欲しい」と、ポンと全額カンパしてくれて、当時職員だったHさんと3人で新潟大会に参加しました。翌年Sさんは、めでたく(やむなく?)職員になりました。そんな事情があったので、この大会が一番印象深く思い出されます。

 わんぱくクラブは、毎年運営が厳しいので、支出の中で何を削るか、という時に、必ず研修費を削ったら、という話がでますが、全国大会にいくことの大切さを力説してくれる人がいて、現在に至るまで、今回のように北海道という遠いところでも、全額保障してもらっています。ありがたいことだと思っています。

 全障研大会に参加して学ぶことは、講演や分科会で話されることだけではないことを、回を重ねる度に感じます。その地域で全国大会を開催することが、すでに障害者の権利運動を強くすすめることになります。全国から、たくさんのいろいろな障害を持った人が集まるわけですから、バリアフリーになっているのか、受け入れる物心両面の環境作りができているのか、総点検することになります。1990年にも北海道で全国大会が開かれたのですが、私は、街中の商店に全障研大会のポスターがはられていたこと、高校生のボランティアが会場にあふれていたことに、とても感動しました。そういう結果を出した活動があったことに、尊敬の念を抱きました。今回の全障研大会は、障害者自立支援法が国会で通るかどうかという時期でしたので、この法律の問題点が熱く語られました。本当に勉強不足だったことを痛感しました。選挙が終われば、又、出てくると思うので、みんなで事実をよく知ることが大切だと思っています。  (2005.09 K わんぱくプレス9月号より転載)


福祉のワンストップサービス

 障害のある長男が20歳になった。障害基礎年金の申請をしなければならない。国民年金を払うように、という通知はむこうからやってくる。長男は、愛の手帳を持っているが、それに伴って障害基礎年金の通知が来るということはない。私は、最初、福祉センターに問い合わせの電話をかけた。「それは年金の方です。」といわれて、「障害児ってことはわかっているのですから、そちらから通知はないのですか。」と聞くと、「干渉はしません。」「は?」と聞きなおすと、「年金課の方には障害に関する情報はありませんし、こちらから情報がまわることはありません。」 で、年金課に電話をまわしてもらい必要書類の送付をお願いした。

 障害基礎年金に必要な書類は、保護者の書く障害の状態(いわば生育暦)、精神科の先生にお願いして書いていただく診断書、その他もろもろ・・・。愛の手帳は、18歳までは地域の児童相談所で、18歳になった時に、都のセンターに行って発行してもらう。その際、愛の手帳を取得する資格があるか、臨床心理士・医師の厳密な診断を受ける。その診断結果は、年金では全く利用されない。障害者は、精神科の先生を探して、診察をしてもらい、生育暦を説明して、診断書を書いてもらわなければならない。もちろんかかりつけの先生がいればいいが、知的障害者は、そういうフォローを受けていないことも多い。我が家の場合、今までずっと大阪で年1回フォローをしているが、診断書のために何度も大阪に戻ることはできない。すぐに診断書がいただけない場合もあるので、早めに精神科の先生を探してくださいとアドバイスもしてくれた。何とか書類をそろえて提出すると、判定に3ヶ月かかると言う。

 えーっ、と思った。長男は、18歳になった時、愛の手帳のため、都の臨床心理士・医師の診断を受けている。愛の手帳を取得してきた過去の記録(生育暦)もある。なぜ、この記録を使ってもらえないのか? なぜ1から申請して、判定に3ヶ月もかかるのか? 加えていうと、決して安くはない診断書の費用は自己負担である。

 これだけではない。長男は、就労重度の判定を受けているが、この申請・判定は別の所にいかなければならない。やはり、生育暦の説明からはじまり、専門家による面接・判定が行われる。ガイドヘルプ等支援費の申請も、別の部署で、こちらも面談の上判定される。障害児が生活していくために必要なサポートをうけるために、いったいいくつの場所にいって、何回説明を繰り返さなければならないのだろうか。

 私達が望んでいるのは、福祉のワンストップサービスである。生育暦を理解し、障害を理解し、必要なサポートをコーディネートしてくれる。就労は就労、余暇は余暇、といった個々の点ではなく、親が急に病気になっても、就労に失敗しても大丈夫、と思えるような、面になったトータルライフ・サポート。まだまだ先は長い。
 ※どの部署でも、対応してくれる担当者は本当に親切で丁寧で、その点では非常に感謝しています。指摘したいのは、制度の問題です。そこのところヨロシク!(2005.10 RYO)


テレビドラマ「女王の教室」で思いだしたこと

 色んな意味で話題となったテレビドラマ「女王の教室」が終了した。最初、私は罰を与えたりするのがいやで見るのをやめていた。ダンナは時々見てクラスが団結していく様子を教えてくれ、最終回は一緒に見てしまった。学校を去ることになった先生に、校長先生が「私立の学校を紹介しましょう」というのを件の先生はきっぱりと断った。「私は、公立の小学校でしか教えるつもりはありません。色んな環境の子どもは、公立にしかいませんから。」というのが理由だった。それを聞いて、東京に来たときに感じたことを思い出した。

 私達は、7年前、大阪から東京に引っ越してきた。最初の頃、ラッシュアワーの電車に乗るランドセルを背負った子どもの多さにビックリした。私立の小学校に通う子供達である。ラッシュアワーの満員電車で、背の低い子供達も大変だが、その子達の背負ったランドセルは、はっきり言って大迷惑だった。それと同時にちょっと怖い、と思った。

 高校、大学と進むに従って、多かれ少なかれ、成績や環境は似通ってくる。ある意味、小学校は、障害児も含めて、いちばん色んな家庭の子供がいる環境だといえる(まっ、東京は統合教育ではないですが・・)。私立の小学校には、障害児も含めていわゆる弱者に分類される子供たちは殆どいないだろう。世の中には、色々な家庭や色々な事情があることを、彼らはどうやって学ぶのだろう。知識として知ったとして、それをどうやって実感するのだろう。
 もうひとつ怖いと思ったのは、満員電車に揺られて地域ではない特別な小学校に行くことで、彼ら自身が自分は特別だ、と思ってしまわないか、ということだ。

 もちろん、これが極端な考えであることはわかっている。私立の小学校を否定するつもりもない。ただ、そういう環境にいるからこそ、より敏感に、世界のどこかでなく、今この日本に、自分達が生活している同じところに、障害児をはじめ、色々な環境や事情の中で生活している人がいることを実感する努力をしてほしいと思う。(2005.10 RYO)


すてたもんじゃない

 会社の帰り、山手線の乗車口で家族が電車を待っていた。両親と男の子3人。ひとりはベビーカーに乗っている。年齢はわからないが、ちょっとベビーカーには大きめのようだったので、足を怪我したのか、何か障害があるのか、単に体が大きいだけなのか、そこのところはわからない。電車が着いてドアが開く。まだ降りる人がいるのに、男の子の一人が乗り込もうとした。そこへ「こら」とお父さんが声をかけた。男の子は振り向いて、乗るのをやめ、降りる人を待った。「へー」と思った。ちゃんとマナーを守るんだ。ちゃんと教えてるんだ。見ていて、ちょっと嬉しくなった。(2005.10 RYO)

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