子供の書いたtとんかつの絵   

おしゃべり広場 (2004年10月)      ●過去のページ一覧へ



 障害児のいる生活で起こるあんなこと、こんなこと、落ち込んだこと、嬉しかったこと、腹がたったこと、それ以外にも、おすすめの場所、感動した本、ここは、何でもありのおしゃべり広場です。みなさん、ぜひおしゃべりに参加してくださいね。でないと、おしゃべり広場じゃなくて、RYOの日記になっちゃうよ〜!と叫ぶと、早速、凛さんがおしゃべりを寄せてくれました。

☆鈴村さんの「障害児放課後休日活動全国訪問記」(2004.10 凛)
☆小銭の話(2004.09 RYO)
☆ある1日(3)(2004.09 RYO)
☆万華鏡(2004.09 RYO)
☆風船クリスマス(2004.10 RYO)
☆知的障害者の権利主張(2004.10 RYO)
☆小さな感動(2004.10 RYO)


鈴村さんの(ホームページ)「障害児放課後休日活動全国訪問記」

 ネットで「障害児 放課後 学童クラブ」と入れて検索していたら鈴村敏規さんのホームページに行き当たりました。タイトルは「障害児放課後休日活動全国訪問記」】でした。
                  【注:「障害児を対象にした 放課後休日活動 全国訪問記」クリックすると繋がります。】

 彼は現在京都の生協の職員で大学時代に障害児の放課後活動に学生指導員として参加し、今もボランティアをしている方のようです。そして、私たちも参加していて今年の全障研の大会で晴れて全国組織になった「放課後連」の事務局員をしている方でもありました。
 内容は全国で障害児の放課後活動をやっているグループや行政へ自分でアポを取り出かけていって、できるまでの経緯、運営形態や施設、参加人数、会費、開所日数、様子等を取材し結構細かくまとめてあり彼の感想も添えられています。訪問場所も全国にまたがっていて、精力的に動いてスケジュールをこなしています。

 誰に頼まれたわけでもないだろうに、凄い奴がいたもんだ。

 当然のこととはいえそれぞれが成り立ちから様々で、行政の補助の形態も色々で熱心な行政もあればそうでないところもあり面白いです。私たちが始めた頃に似ている部分もあるし、こんなやり方もあるのかと思うところもあるし、こんな補助金でどんなして運営しているのだろう苦労しているだろうなと勝手に同情しちゃうところもあるし。考えてみれば、当初ぼくらにはなんにも行政の援助はなかったのですが。ただ、全国に同じ思いの人たちがいっぱいいて、子どものためにがんばっているのだなと具体的に見られる数少ない資料のような気がします。

 ぜひ、彼のホームページを時間のあるとき覗いてみてください。
 因みに、久しぶりの帰郷をしてわかったのですが私が生まれ育った鹿児島の片田舎の小さな町にも障害児の学童クラブが産声をあげていました。始まったばっかりでまだまだ活動日が少ないようですが、何かうれしかったです。ガンバレ。(2004.10 by 凛)

小銭の話

 3月に養護学校高等部を卒業した長男は、4月から、お店の洗い場で働いている。その行き帰りにコンビニや自販機でジュースを買うのが楽しみである。お茶を持参するとか、家にあるジュースを飲んでくれるほうが安上がりではあるが、お金を使う経験をすることも大事なので、購入することにしている。長男は、お金の種類もあまりよくわからないし、計算もできない。そのことを自分で知っているので、以前は、1000円札を使うことしかできなかった。1000円なら、おつりをもらうだけなので、安心して買い物ができる。

 高等部では、頑張って500円玉も使えるようになった。しかし、120円のジュースにちょうどのお金を出すことは難しい。その結果、どうなるか? 月曜に1000円札でいれた長男の財布は、金曜には小銭でパンパンになる。そのままでは重くて大変なので、週末には、たまった小銭をこちらで引き取ることになる。

 知的障害児にこんな不便があるなんて、聞かなければ、まず気づかないだろう。他にも色々ある。長男は、会話はできるが、文字はほんの少ししか読めない。カラオケは大好きだが、画面にでてくる歌詞は読めない。吹き替えのない映画の字幕も読めない。障害児の米国ホームステイを描いたドキュメンタリー映画「エイブル」は、すばらしい映画だが、信じられないことに吹き替えではなく、字幕だった。文字の読めない障害者が見に来るとは考えなかったのだろうか。長男が間違いなく楽しめる内容だっただけに残念だった。

 とにかく、日曜日、母の財布は小銭でずっしりと重い。  (2004.09 RYO)

ある1日(3)

 大阪出張である。家族の朝ごはんを作って5時25分に家をでる。当然のことだが、駅ではすでに駅員さんが仕事をしている。渋谷に向かう電車には、こんなに朝が早いというのに、もう空席はない。コンビニは当然あいている。駅のおそばやさんも、キオスクも6時開店なのか、中には準備にいそしむ人影が見える。すでに開店していて、朝食をとる人のいる店もある。朝2番の「のぞみ」は、ビジネス客で満席に近い。こんなに多くの人が、こんなに朝早くから働いている。

 仕事が予定よりちょっと早く終わったので、子供たちだけで外食をしてもらう予定を変更して、駅で子供たちと待ち合わせてレストランに向かう。予定のお店が閉まっていたので近くの定食屋にはいった。カウンター席のその店には、3人の店員さん。お水を出し、注文を取り、料理を作り、食器を洗い、とにかくめまぐるしく働いている。すごいなあ。

 世の中は、働く人で満ちている。  (2004.09 RYO)

万華鏡

 万華鏡、英語でカレイドスコープという。3枚の鏡をあわせた筒に、色とりどりの小さなピースを入れる。覗き込んでみるとピースが幾重にも鏡に映り、それはそれは幻想的な画像を創り出す。先日、立ち寄った東急百貨店の陶器の店で、なぜか、マグカップの横に万華鏡が置いてあり、思わず買ってしまった。普通の万華鏡と違って、ピースが試験管のようなガラスの筒に入っている。覗き込むと、刻一刻と変わっていく画像が、何とも言えず美しい。ダイニングテーブルの隅において、時々覗き込む。「なんかさあ、万華鏡見てると、疲れてたり、落ち込んだりしてても元気になる気がしない?」とダンナにいうと「その程度のことで癒されるなんて、もともとたいした悩みでも疲れでもないってことや。」と手厳しいお言葉。でも万華鏡は子供のころから大好き。いい買い物をしたと一人満足している。(RYO 2004.09)

万華鏡 万華鏡

 ※万華鏡を覗き込んだ時の写真をドーゾ。私がデジカメでうまく撮れない、と四苦八苦していると次男がケータイで取ってくれました。本物はもっともっと綺麗だけど、雰囲気をお楽しみくださいませ。 (2004.09 RYO)














風船クリスマス

 万華鏡も好きだけど、風船も大好き。もう十数年前、まだ大阪に住んでいたころ、クリスマスの前日、自宅のチャイムが鳴った。玄関にでるとマンションの同じ階に住むママ仲間が、ヘリウムの入った風船をいっぱい持って立っていた。「あのね、うちの家、今日1日早くサンタがきたの。サンタのプレゼントで部屋中風船だらけなの。だから少しおすそわけ。」すごいなあ、と思った。朝、目が覚めると部屋中ヘリウム風船でいっぱい、「サンタのプレゼントだねー。昨日サンタが来たんだね。」なんて、すごく素敵! 子供たちは、目が覚めてどんなにわくわくするだろう。私もやってみたいと思った。でも、そんなことは特別な人にしかできないと思っていた。

 その後ダンナの仕事の都合で9ヶ月ばかりアメリカで暮らした。アメリカは風船大好きの国であり、風船がラッピングに使われたりする。色々なパーティグッズを売るパーティシティには、クリスマスが近づくとヘリウムレンタルというものが出現した。確か60ドルぐらいだったと思うから、それなりに高かったけど、即座に申し込んだ。重いヘリウムボンベを車で運んで、部屋いっぱいの風船を作る。子供たちも風船をひっぱったり、つついたり、とても喜んだ。まっ、作るほうをより楽しんでいたけれど・・。たまたま近所に住んでいる日本人の母子が訪ねてきた。5,6歳のその女の子は、リビングいっぱいの風船を見て、まず驚き、そして喜んだ。帰りに5つ6つ風船をあげると、本当に嬉しそうだった。近くの子供たちにもおすそわけした。

 日本に帰って、また部屋いっぱいの風船クリスマスをやりたいと思い、ヘリウムの購入についてダンナに調べてもらったら、2万円から、ということだった。2万円は、ちょっといたい。しかし、その後日本でもバルーンアートが広がり、インターネット上で、1万円くらいでヘリウムが入手できるようになった。さっそくやってみた。部屋いっぱいのヘリウム風船。子供も子供の友達もダンナも半ばあきれながら、それでも楽しそうだった。ヘリウムを吸い込んでしゃべると、ドナルドダックのような声になる遊びも含めて。

 ヘリウム風船が、天井に浮かんでいるのは、12時間ほど。朝、天井に浮かべた風船は、夕方には沈み始め、次の朝には全部床に落ちてしまう。たった1日の楽しみ、それでも、部屋いっぱいに浮かんだ、色とりどりの風船は、本当にファンタジック! 皆さんも一度やってみませんか?    (2004.10 RYO)


知的障害者の権利主張

 かなり前のことになるが、情報バリアフリーシンポジウムなるものに出席した。パネル討論があり、視覚障害の方、身体障害の方がパネラーに含まれていた。TVの字幕付与についての議論があった。ご存知かも知れないが、日本では、TVの字幕放送を利用するためには、TVの他に高いデコーダを買う必要があり、字幕の付与されている番組もわずかだが、米国では、TVには字幕デコーダが内蔵されており、字幕は障害者だけでなく一般にも便利な機能として利用されている。

 それはさておき、ディスカッションになって、フロアの聴覚障害の方から意見がでた。「パネラに聴覚障害の人がはいっていないのは、どういうわけか?」 視覚障害と違って聴覚障害はすぐにわからないから、軽んじられている、ということだった。それに対して、今度はフロアの視覚障害関連の方から意見が出た。「字幕ばかり検討するのは、聴覚障害の方に対する配慮だけ。視覚障害者は、TVの字幕や文字は見えないのだから、その対策もきちんと考えてほしい」。で、会場はちょっとした口論のようになってしまった。

 それを聞きながらふと思った。障害を有する当事者が、何に問題があって、どう対処すればよりよい環境になるのか、それを自ら語るのはとても重要なことだ。健常者では、気が付かないこともとても多く存在するから。でも、わんぱくの子供たちのような知的障害や情緒障害の場合についてはどうだろう? 彼らは彼らの気持ちをうまく伝えることができない。いったい彼らの代弁は誰がするのだろう。

 以前、知的障害児の職業訓練をなさっている方の講演で聞いた話を思い出した。「車椅子体験、高齢者体験等のバリアフリー体験というものがある。もちろん実際の大変さには及びもつかないと思うが、それでも大変さの一端を体験することはできる。しかし、知的障害や情緒障害はどうだろう。われわれは、彼らの大変さを体験することはできない。」という話だった。そのとおりだと思った。もしかしたら、言葉も文字もわからない異国にひとり放り出されたような環境が、少しは彼らの状況に似ているのかも知れない。

 彼らが住みやすい社会になるように、私たちはもっともっと彼らに寄り添っていかなければならない。色々なことを思いやれるようにならなければいけない。そして、まわりの人々に伝えていかなければならない。そうすることが、高齢者も障害者も障害のない人も、誰もが住みやすい社会を作る第一歩になると思うから。  (2004.10 RYO) 

小さな感動

 通勤途中に本を読んでいる。ラッシュ時の超満員電車では、新聞はちょっとひろげにくい。ハードカバーは重いし高い。駅に着くたび中断されるので、難しい内容の本は続かない、ということで、最近内容の軽いファンタジー系の文庫本を読むことが多い。もともとファンタジーは好きなので、文章がいまいちだ、とか、構成が甘い、とか言いつつ、それなりに楽しく読んでいる。そして時折、はっとするような表現や視点に驚くことがある。最近読んだ本の次の一節も、そのひとつだ。

 −嵐の晩、風の音が怖いと姉の許へ行った。姉はおれが眠るまで側にいてくれた。たったそれだけで安心できるのだと、おれは知っている。だからこうして、不安に怯えているフェリシアの側にいてやれるのだ。魔法などなくても、できることはたくさんある。人が人にしてやれることはささやかでしかなく、また、それでいいのだと、最近おれは思うようになった。−冴木忍「いかなる星の下に」富士見ファンタジア文庫−

 こんなことで感動できる自分に、少し感動している。 (2004.10 RYO)