子供の書いたとんかつの絵   

おしゃべり広場 (2003年11月)     ●過去のページ一覧へ



 障害児のいる生活で起こるあんなこと、こんなこと、落ち込んだこと、嬉しかったこと、腹がたったこと、それ以外にも、おすすめの場所、感動した本、ここは、何でもありのおしゃべり広場です。皆様のおしゃべりをお待ちしています。
 しばらくホームページの更新をサボってしまいました。でも更新してなくても、おしゃべりは書き溜めてました。今回は、「赤いバラ」さんが写真付で登場! カスタネットが聞こえそうな華麗な写真を見てね!

☆私とフラメンコ(2003.10 赤いバラ)
☆サンタは何歳まで来るの?ーその後ー(2003.08 RYO)
☆ある事件(2003.07 RYO)
☆ある1日(2)(2003.06 RYO)
☆ある1日(2003.06 RYO)

私とフラメンコ

フラメンコの写真  私がフラメンコを始めたのは、6年前になります。自閉症の息子が小学5年生の時でした。家からできるだけ近い教室に行きたいと思い自転車で5分の教室にしました。その当時は、息子が学校に行っている間に練習を行っていましたが、息子が中学1年になった時やりたかった訪問看護師の仕事を始めたので、フラメンコの練習は主人の休日の夜にしました。

 その教室では、年に1回フィエスタという発表会をしていました。その発表会の練習というのは、リハーサルを5回もするという完成度の高い発表会でした。始め、私は障害のある子供を持っていれば練習やリハーサルはできないと思い発表会を見る立場にいました。しかし、3回目の発表会を見た時は出演できない自分に、ただただ空しく感じたのでした。その時、はじめから出られないと決め付けている自分に気がつき、何とか発表会に出たいと思いました。

 4回目の発表会からは、ぜひ出演しようと気持ちを切り替え、練習に励むことにしました。一番困ったのは、リハーサルのある時に息子を一人置いて出掛けられなかったことです。何とか、兄や主人に頼み込んでその時、その時のリハーサルをこなしました。そして、発表会の前日は、朝早くから夜遅くまで、リハーサルにかかるので息子を緊急一時に預けることにしました。そして、当日・・・ドキドキしながら形なりにも表現できた自分に驚き、また発表会に出るまでの道は困難だっただけに、終わった時は達成感に満ちていました。

 今は家族の協力に感謝しながら、フラメンコをやり続けることで、年々それなりのレベルになり、週4回レッスンを受け、さらに貸しスタジオで自主練習する日々です。

 息子は、わんぱくクラブに小学1年から入り、現在17歳ですが、毎回の積み重ねで、今では班長もできるようになりました。わんぱくのお陰で、私は仕事とフラメンコを両立しています。今後も、困難な状況の中でも大好きなフラメンコを続けて行きたいと思います。  (2003.10 赤いバラ)

サンタは何歳まで来るの? ―その後―

 もうサンタが来ないのではないか、と心配する長男のもとに(「サンタは何歳まで来るの」)、ちゃんとサンタはやってきました。プレゼントは希望どおり、パイロットのシャツとワッペン、ネクタイもありました。でもジャケットはありませんでした。長男は、「もしかしたら、忘れたのかもしれない。明日、「忘れてたよ〜」と持ってきてくれるかも」と期待して2、3日待っていましたが、追加のプレゼントが届くことはありませんでした。  で、長男はかなり残念だったのですが、新年からパイロットのTVドラマ「グッドラック」がはじまり、ジャケットなしのシャツの姿も多く、大いに長男を喜ばせました。

 さて、高3になった長男は、修学旅行で飛行機に乗ることになりました。折角だから、と、初日パイロットシャツを着ていくことにしました。空港で、長男がパイロットシャツを着ているのに気づいたスチュワーデスさんが何人か、長男の周りに集まってきて、「これパイロットのシャツだね」「どうしたの?」と聞かれたそうです。長男は、「サンタさんにもらった」ときっぱり答えた、とのこと。その答えをきいた時のスチュワーデスさんの顔を、ちょっと見て見たい気がします。

 ところで、プレゼントのパイロットシャツは、航空関連の専門店で調達しました。お店のおじさんは、「この頃、航空も人気ないから、クリスマス用のラッピングは用意しないでおこうか、と思ったけど、やっぱり用意しておいてよかった」と、それはきれいなラッピングをしてくれました。 長男は、今年のクリスマスに何をもらうか、そろそろ気になり始めます。いったいどんな希望が飛び出すのか、サンタも気が気ではありません。(2003.08 RYO)


ある事件

 仕事を終えて帰宅する前、家に電話をした。「今から帰るから、お米洗っといてね。」といったあと長男の言葉に驚いた。「新聞の勧誘員さんがきて、購読契約をした。」と言うのだ。購読契約には印鑑が必要だ。「判を押したの?」と聞くと、確かに押したと答える。長男には,郵便局と宅急便以外は決して印鑑を押してはいけない、と話をして、はやる気持でハンドルを握り、家へ急いだ。

 家に帰って長男が契約した購読申し込みを見て、事務所に電話をかけた。「親が居ない時に子どもと契約するなんてどういうこと? しかも知的障害のある子なのに・・」と聞くと「担当者がまだ事務所に戻っていないので、戻り次第確認して連絡する。」との事。そうこうしているうちに、ピンポンが鳴り、勧誘員の人がやってきた。「どういうこと?」と聞く私に、ちゃんと受け答えしたので、(障害児とは)気がつかなかったこと、本当に契約していいのか確認のために再訪したこと、決して悪気はなかったことを告げた。誠実そうな人で、むしろ、長男が一生懸命契約の書類を書こうとするので、障害児と気がついたが、契約できないとは言えなくて、とりあえず契約をしたようにさえ思われた。契約を破棄してもらい、この事件は終わった。

 今回は事なきを得たが、この事件は私達にとって冷水をあびせられたような事件だった。これから先、こんなことはいくらでも起こりうるのだ。世の中は、善良な人ばかりではない。こんなトラブルからどうやって知的障害のある子どもを守っていけばいいのか、親亡き後はどうすればよいのか。成長とともに顕在化する課題が山のようにある。  (2003.07 RYO)


ある1日(2)

 6月25日(月) 大阪出張。宿泊になるのをできる限り避けるため、出張はいつも早朝出発。5時前起床。家族の朝ご飯を作る。自分の分はパックにつめる。今日はお弁当はゴメンナサイさせてもらう。5時40分家を出る。6時半新幹線に乗りこむ。パックにつめた朝ご飯を食べる。何かの本に書いてあった新幹線の乗り方に習って、まず1時間程度寝る。起きてから新大阪につくまで資料を読む。淀屋橋で10時から会議。会議終了後、喫茶店で食事をしながら別の打ち合わせ。40分ほどかけて移動し、12:30から別の会議がはじまる。17:00会議終了。別の部署に立ち寄って挨拶。京橋の京阪モールで夕食のお弁当を買って、19:03新大阪発新幹線に乗る。

 お弁当を食べて、まず少し眠る。22時、東京に着く。山手線で渋谷へ。電車を降りた時、リニューアルした渋谷駅の広いガラス面から見える外の景色に一瞬足を止める。夜の10時半だというのに、外はネオンの照明で非常に明るく、一瞬、夕方かと錯覚してしまった。駅の構内にもこうこうと蛍光灯が灯る。乗降客の数も、まるでラッシュ時のようである。眠らない町だ。消費される膨大なエネルギー。23時家に帰り着く。ダンナや子どもはもう眠っているので、犬だけが迎えてくれる。

 月曜日の大阪出張は、体力的にこたえる。明日からまだ4日も働かなければならない。こんな日も、我ながらよくやっているなあ、と自分で自分のことを褒めることにする。
※このあと、渋谷での小学生監禁事件が報じられた。やっぱり・・と思う事件だった。(2003.06 RYO)


ある1日

 6月9日月曜日、6時すぎ起床、この頃5時台に起きることができない。朝ご飯準備のあと、次男とダンナと私の3人分のお弁当を作る。7時15分次男が学校へ。長男の養護学校のノートを書く。7時50分長男学校へ出発。急いで自分の朝食を食べ、後片付けをし、夕食の準備にかかる。夕食は八宝菜、とろみをつける前まで仕上げる。9時、大慌てで出発。今日は、作業所の手伝い、10時〜12時の予定だが、何とか9時半〜11時半に変更してもらうことにする。交通の便がいまいちなので、自転車で向かう。所要時間30分。関東平野のど真ん中・世田谷には、山はないけど、丘陵地帯で、坂はいたるところにある。長崎ほど急な坂ではないけれど、自転車にはこたえる。上り坂をやっと登りきって、その先が下り坂だったりするとゲンナリ。

 9時半、作業所到着。まず公園清掃との事、そのまま掃除道具を持って公園へ歩いて行く。公園清掃。枯葉は仕方ないとして、花火のカスやお菓子の袋のごみはちょっと悲しい。10時40分作業所に戻って、今度は作業の手伝い。11時半、ふたたび自転車にのって帰る。ペダルをこぐこと30分。足が笑っている。くたくた。 家に帰って、朝作った自分用弁当で昼食20分、犬の散歩に15分。容器に片栗粉をいれ、とろみのつけ方を書いた子どもへのメモを書く。公園清掃と自転車往復1時間で汗と埃にまみれているので顔を洗い、またまた大慌てで会社に向かう。車を運転して50分、会社到着、1時半パソコンの電源いれて仕事開始。

 参観日、懇談会、福祉センター訪問、実習説明、作業所手伝い、作業所見学・・・・・。養護学校の用事は山ほどある。年休ではとてもまかなえない。幸い、勤務時間は調整が効くが、仕事量は減るわけではない。夕食は子どもたちで何とかしてもらい、ダンナにもなるべく早く帰ってもらうことにして、今日は仕事。7時ごろ様子を聞くために自宅に電話をすると、ダンナが帰ってくれていた。よかった。8時まで仕事。車を運転して自宅へ。9時前、家に帰り着いて遅い夕食。連絡帳やプリントの確認。夜の10時を過ぎてから近くのスーパーに買い物に行く。お風呂にはいる。あ〜疲れた!!  こんな日は、我ながらよくやっているなあ、と自分のことを誉めたくなる。誰も褒めてくれないから、自分で褒めておこう。 (2003.06 RYO)